りんかくちゃんのお花畑日記

iloveyouって英語で習ったんだっけ?

返歌はいらない

「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」


桜を模したそのポスターを見て真っ先に頭に浮かんだのはこの和歌だった。






2019年1月17日、Snow Manの増員が発表された。


増員を知ったのは日付が変わった頃だった。 いつものようにTwitterトロールを終え就寝しようと思っていた矢先のこと。いつもは平和なTLに突如「は?」という言葉が並び始めた。なんだろう、なにがあったんだろう。不穏な空気を察知しドキドキしながらスワイプしたことを覚えている。そして鬼スワイプの末に皆の動揺の震源地に行き着いて、思わず口からこの言葉が飛び出した。「……は?」


「んんwwwでもこれは公式発表ではないでござるwwwインターネッツの情報が全てならwwwV6も毎年解散しているでござるwwwフォカヌポォウwww拙者としたことがついウッカリwww」みたいな状態になり就寝。起床して驚愕。やっぱ増えとるやんけ。オタクは二度驚く。


増員が公式に発表された時、3人が嫌だと言う感情はなかった。ラウちゃんに関しては自分が成人を迎えてから中高生を推すと言う経験がなかったので戸惑いのあまり「ジュ、ジュ、ジュース飲む?」みたいな感じになってしまったけど。


でもやっぱりキツかった。これは重要なことなので何度も繰り返し言うけど、3人が嫌なんじゃない。自分が目をそらして来た物を眼前に突き付けられたのが辛かったのだ。


その発表の奥底に潜んでいた物は、突き付けられた物は、新卒で就職をしたり商品を購入したり仕事で交渉をしたりする際、私自身が幾度となく受け入れ私自身の為に利用してきた物だった。だから頭の片隅では「なるほどな」と理解できた。増員が最善の方策かはその時は分からなかったしそれ故に「これでみんな幸せになれるの?」と思ったが、増員に至った理由は痛いほど分かったのだ。でもすぐには感情が追い付かなかった。本当に今さらだけど、こんな不甲斐ないオタクでごめんね。


オタクの感情がグチャグチャしてるのなんざおかまいなしに滝沢歌舞伎ZEROが開幕。春が始まり京都へ飛ぶ。楽しかった。でも色々あった。でも楽しい。情緒が毎日ジェットコースター。


南座公演を終え横アリを迎えても宙ぶらりんのまま残った思いがある。それは「6人のパフォーマンスが好き」という思いだ。これは増員の妥当性云々とは全く別レイヤーの個人の好嫌の話であり、「あなたは林檎と蜜柑どっちが好きですか?」「林檎です」というレベルの話である。「南座も横アリも楽しかった」「加入してきてくれた3人が好き」という思いと平行して「6人のパフォーマンスが好き」 という思いが自分の中にあり、実を言うとつい最近までこの思いをどこに持っていけば良いのか分からずメソメソしていた。


でも最近は9人じゃないと見られないパフォーマンスも猛烈な勢いで好きになりつつある。


 って言うか6人は9人にはなれないけど9人を保ちつつ6人のパフォーマンスだって出来るくない???えっ、なーんだ簡単なことじゃん。ってことについ最近気が付いた。大は小を兼ねるのと同じように9も6を兼ねる。なくなりはしてない。 でも増えた。それに何より私は新しく入ってきた3人が好き。だから楽しい。


私はこの9人が好き。


うん、やっと声を大にして言えた。
気がする。


6人のパフォーマンスももちろん最強だから今も何度も見直してる。でもメソメソしたところで私にとって何になるのかわからんし、だったらその時間を使ってビール片手に再生回数あげたり要望や感想送ってる方がよっぽど有意義に思えたし、 今のこの勢いから振り落とされないようにするのに必死だからメソメソしている暇がないし、何より見てみたいと思う未来の光景が出来たから、メソメソすることは最近めっきり減った。


その光景を思い描くようになったのは、Snow Manに密着したROTをみていた時のこと。彼らが発したり彼らに投げ掛けられたたくさんの言葉が刺さったけれど、中でも特に印象に残った言葉がある。


それは衣装の打合せ中、衣装さんが宮舘くんにピシャリとあびせた「10年かかるね」という言葉。1年後のことはおろか半年後のことも1か月後のことも分からず薄氷の上を歩むかの様に月日を送る中、プロから10年の歳月が必要と言われた。10年。その歳月の果てしなさに目眩がする。


でもその10年後を私は見たい。


10年の間には桜の花の開花とかラウちゃんの成人とか色んなイベントがあるね。そういうことに思いを馳せたらワクワクするね。 ヘッダーとか重版とか、そういうのを一つひとつ積み重ねていった先にあるのかな? リップサービス?そんなのわかってる。わかってるけどそれを真に受けて期待するのは私の勝手だ。


だから今はとりあえず走りながら考える。走るか考えるかの選択を迫られたら走る方を選ぶ。


それに最近、走るのが楽しい。危機感が常にある一方で上昇気流のような上向きの力に乗っている感じがする。フワリとそのまま足が地面から離れてしまいそうな力に。もしかしたらいつものようにお酒を飲みすぎて酩酊しているだけなのかも。でも私はこのワクワクするような上向きの力を信じていたい。生粋のお花畑だから。






冒頭の和歌は在原業平が詠んだ物だ。


現代語に訳すなら「世の中に桜の花がなかったのなら、春はのどかに過ごせるだろうに」になる。儚く散っていく桜への愛を逆説的に表現した名句だ。
「好き」という思いが増すごとに影のように不安が濃くなるJr.担にの心理に重なる所が多い句だと思う。



この和歌への辺歌も有名だ。


「散ればこそいとど桜はめでたけれうき世になにか久しかるべき」


現代語にすると「散るからこそ桜は素晴らしいのだ。憂いが多い世の中においてなにが永遠に変わらずにいられるの?」みたいな感じ。


桜の儚さそれ自体を愛でる句。
この句も素晴らしいと思う。


でも、私が好きな桜の花には散って欲しくないんだよなー。彼らの儚さを愛でるようなことはしたくないんだよなー。


V6も応援しているからこそよく分かるんだけど、続けていくことの美、緩やかに訪れつつある物に抗う美という物もこの世には存在すると思う。いつかは重力に誘われフワリと着地する運命に抗いながら、真っ直ぐに真っ直ぐに飛んでいく紙飛行機が美しいように。


今のSnow Manが発している未来を掴まんとする力は上記の美と同じベクトルの物だと思う。だったら彼らの姿もまた同じように美しいし、彼らが望む限りずっとずっと私たちの目の前にいてくれることもきっと美しいのではないだろうか。


だから、私の世界に、返歌はいらない。





P.S.

「散ればこそ~」を詠んだ人、この和歌が好きな人、勝手に引用してボコボコに言ってごめんなさい。



おわり