りんかくちゃんのお花畑日記

iloveyouって英語で習ったんだっけ?

信じることが全てでした

PCの画面を開いたまま凍った。

告知タイム中の事だった。


一人ひとりの顔がバックスクリーンに映し出された。異様だった。あまりに異様だった。告知は早口だったのに。なぜ。どうして。

彼らの表情もまた異様だった。

知らない顔だった。カルタをしたりクリスマスにプレゼント交換をしたりする時の彼らの顔ではなくて、静かに何かを湛えた顔だった。「もしや」という予感が頭をよぎる。それは期待と現実の落差で傷付くことを恐れリアリストのフリをしながら何度も否定してきた物だった。いやいや。このタイミングで。そんなはずはない。

でも、その「もしや」は適中した。

2020年、Snow ManSixTONESの同時デビューすることが発表された。

雷鳴が一気に遠くなり私の周りの空気がピタリと動きを止めた。私は机に突っ伏して、喜びと驚きが鳥肌と共に全身を駆け巡るのを感じていた。



デビューする前に一つ謝っておきたいことがある。

実を言うとJr.を好きになったのは2回目である。


山下翔央くんが好きだった。


地方住みかつ大絶賛義務教育中だった私は、彼が退所するまで彼のジャニーズJr.としての現場に行くことはついぞなかった。「担当」と名乗るのはおこがましいような立場だったけど、退所を知った時には心に喪失感が広がった。それで好きだと気が付いた。退所後も彼の動向を追い続けた。でもその日々もある日突然ブツンと途切れるようにして終わった。

私は今でもたまにWikipediaの翔央くんの記事にアクセスする。その度に所属事務所欄に「芸能活動をやめた」と書かれているのを見て呆然としてしまうのだ。ページをめくってみたら続いていくはずの物語が書かれておらずページ全体が真っ白で、いきなり現実に放り出されてしまった時のように。

Jr.を推すと言うことは、その呆然自失といつか対峙する覚悟をすることだと私は思っていた。




前に書いた記事(http://sunsignvvv.hatenablog.com/entry/2019/07/18/205314)では書かなかったんだけど、実を言うと増員を知った時、「托卵」という言葉が浮かんだ。

托卵というのはカッコウ科の鳥類や一部の魚類・昆虫類に見られる習性で、自分達の卵を他の種に預け、生まれてきた子どもの世話をさせるという物。この時に世話をする親を仮親という。仮親に雛を世話させ、雛は大きくなり、巣立つのだ。

彼らが嫌ではなかったけど、私はこの托卵に類似した事が起こるのではないかと思った。覚悟していた瞬間が来るのだ。これは仕方がないことだと思った。


でも違った。


このことに関しては9人と担当の皆さま全員に心の底から謝罪したい。本当にごめんなさい。

彼らは戦いに来てくれたのだ。たくさんの覚悟をしてくれたのだ。共に戦う覚悟をしてくれていたのだ。6人が作り上げたSnow Manは3人が未来を掛けて飛び込むに値する物だったのだ。

飛び込む覚悟を受け入れる覚悟を続けていく覚悟は加入発表当初の私が想像した以上の物で、6人のSnow Manも私が思っている以上に凄い物で、私は私の目にうつる物すべてを侮っていた。勝手になにかを諦めていた。そうするべきではなかったのに。

そのことに気付いて上昇気流の先にある未来を確信するまでに時間がかかってしまった。

本当に本当にごめんなさい。





デビューすると発表されてからの気持ちを正直に言うと、未だに色んな物を抱えきれずに混乱の中にいる。私の喜びは誰かにとっての悲しみで、でもやっぱり嬉しくて、だけど誰にも悲しんでほしくなくて、そういう矛盾が私の中で渦巻いている。天国と地獄が平気な顔して表裏一体の物として存在している。デビューがこんなに凄絶な物だと知らなかった。



そして不安だ。とても難しい道を進めと言われているように思う。未知は怖い。初めては輝かしいけどそれと同じくらい怖い。今まで向けられることがなかった視線を向けられるのも怖い。心ない声がたくさん降りかかったらどうしよう。とびきりの悪意が介入してきたらどうしよう。怖くて怖くて仕方ない。だから暇な時に「週○文○ 弱点」「匂わせ女 封じ込め いくら必要」などと検索してしまった。ナチュラルに流出する前提だったのは、まあ、なんだ、スマン。

あとはジャニーズ事務所の現在の地位とか。

少し話が逸れるけど、ジャニーズ事務所に所属する事で得られていたスケールメリットを今まで通り享受できるかと言ったらたぶん否で、それが同時デビューさせる理由の一つなのではないかと思う。

an・an重版に至るまでの経緯を思い浮かべてほしい。2グループ揃ってた方がお互いのオタクが頑張るからだろうな。「私たちの性質をよく知ってんな😂👏」と言う他ない。(何形態でも出してこい社会人マネーで迎え撃つ)



でもそんな凄絶と不安の中にあっても会見やラジオでの彼らはやっぱり彼らで、それでどうにか血反吐を吐きつつも正気を保っている。




ああ、そして、やっぱり何もかも突き抜ける位に嬉しい。


花束を手にした彼らの姿を見て泣いた。誇らしげに花束を掲げる阿部くんを見て泣いた。その花の色は落丁本のページのような無機質な白ではなく生命を感じさせるたおやかな白色で、そのことにまた泣いた。花束を持ったままだから死ぬほど踊りにくそうで、少し笑った。


認められたのが嬉しい。たどり着いたのが嬉しい。始まるのが嬉しい。彼らが喜んでいるのが嬉しい。我らがavexが何種売りを仕掛けてくるのかを考えるとワクワクする。カチリとCDをセットする瞬間を想像しただけで幸せで破裂しそうになる。「知られない」をどんどん乗り越える姿を思い浮かべると涙が出てくる。


どこにでも行けてなんにでもなれるであろう阿部くんが、私の人生と彼の人生が指先でほんの一瞬だけ交わるようなこの場所を選んでくれたことが嬉しい。


解放されたのが嬉しい。

櫛の歯がいつの間にか欠けているようにあまりにも容易に誰かがいなくなる世界から解放されたのが嬉しい。彼らを繋ぎ止めてくれる紐帯ができたのが嬉しい。

この紐帯が永遠でも無敵でも絶対でもないということはわかっている。万物は流転する。人生において大切な物は、その人にとっての幸せは、時間と共に変わる。そして私はその大切な物を、幸せを、尊重してほしいと思ってる。

私は一介のオタクでしかなくて、阿部くんの人生をまるっと背負うことなんて出来ない。阿部くんの人生は阿部くんの物であって、私にはその事実を覆す力も権利もない。あってはならない。私にできるのは私が幸せと思う瞬間と阿部くんが幸せと思う瞬間が合致することを願うことだけだ。今この瞬間が阿部くんにとって幸せであるように、そして少しでも幸せな時間が長く続くように、願い続けることだけなのだ。

だから、どうかこの場所で、幸せでいてください。私のこの気持ちは愛で装飾されたエゴイズムだ。わかってる。わかってるけど、率直な気持ちだ。オタクって気持ち悪いね!!!!!!!!!!ごめんね!!!!!!!!



そして、絶対に忘れてはいけないことがある。

目黒蓮くんラウールくん向井康二くんからそれぞれ宇宙Six、少年忍者、関西ジャニーズJr.という居場所を奪った。そして彼らを応援する人たちから彼らを奪った。何年もかけて築き上げた大切な関係性を突然奪ったのだ。

「ごめんなさい」も「ありがとう」もしっくり来ない。このどちらでもであるし、このどちらでもない。

でも、彼らを愛してくれた人がいて彼らを送り出してくれた人がいてこの瞬間も悲しくてやるせなくて仕方がない人がいるということを、絶対に忘れない。

今回の発表で心を踏みつけられた人がいると言うことも。

忘れないことで何になるかはわからない。これでなにかを癒すことなど出来ないと思うし、忘れないことでなにかを癒すことが出来るなどと思うのは単なる驕りだと思う。でも絶対に忘れない。



さて、私にはやらなければならないことがたくさんある。ここはスタートラインだからだ。見るものは見て、見ない物は見ない。この文章を書いている時にちょうど阿部くんがブログで「力を貸してほしい」と言ってきたからブチ上がった。時には攻めて時には守ってと忙しくなる。

世界を変えるのは認識ではなくて行為だ。笑われて、笑われて、つよくなる。


「選ばれてあることの恍惚と不安と 二つわれにあり」

私が選ばれたんじゃないし、なんなら私は「選ばれた」と感じるこの状況から逃げ出せる立場なのに、こんな言葉が浮かんでしまう。でも私はこの場所で、選ばれた立場から逃げ出せない人たちと一緒に戦いたい。これからの方が道はずっと長いから。


たぶんこれまで以上にメンタルがアレになったり酒に頼ったりすることになるかもしれないな。趣味は生きる糧とするべき物なのにメンタルがアレになって酒に頼るのは本末転倒感isあるが、生きてるって感じがしてそれも含めて最高に楽しいから仕方がない。血反吐を吐こうがオタクは楽しい。


だから、こんなに楽しい物をくれる人たちにも楽しい物ばかりがふりかかってほしい。


私の大好きな人たちがたくさん愛されますように。未来がとびきり最高の物となりますように。






おわり

返歌はいらない

「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」


桜を模したそのポスターを見て真っ先に頭に浮かんだのはこの和歌だった。






2019年1月17日、Snow Manの増員が発表された。


増員を知ったのは日付が変わった頃だった。 いつものようにTwitterトロールを終え就寝しようと思っていた矢先のこと。いつもは平和なTLに突如「は?」という言葉が並び始めた。なんだろう、なにがあったんだろう。不穏な空気を察知しドキドキしながらスワイプしたことを覚えている。そして鬼スワイプの末に皆の動揺の震源地に行き着いて、思わず口からこの言葉が飛び出した。「……は?」


「んんwwwでもこれは公式発表ではないでござるwwwインターネッツの情報が全てならwwwV6も毎年解散しているでござるwwwフォカヌポォウwww拙者としたことがついウッカリwww」みたいな状態になり就寝。起床して驚愕。やっぱ増えとるやんけ。オタクは二度驚く。


増員が公式に発表された時、3人が嫌だと言う感情はなかった。ラウちゃんに関しては自分が成人を迎えてから中高生を推すと言う経験がなかったので戸惑いのあまり「ジュ、ジュ、ジュース飲む?」みたいな感じになってしまったけど。


でもやっぱりキツかった。これは重要なことなので何度も繰り返し言うけど、3人が嫌なんじゃない。自分が目をそらして来た物を眼前に突き付けられたのが辛かったのだ。


その発表の奥底に潜んでいた物は、突き付けられた物は、新卒で就職をしたり商品を購入したり仕事で交渉をしたりする際、私自身が幾度となく受け入れ私自身の為に利用してきた物だった。だから頭の片隅では「なるほどな」と理解できた。増員が最善の方策かはその時は分からなかったしそれ故に「これでみんな幸せになれるの?」と思ったが、増員に至った理由は痛いほど分かったのだ。でもすぐには感情が追い付かなかった。本当に今さらだけど、こんな不甲斐ないオタクでごめんね。


オタクの感情がグチャグチャしてるのなんざおかまいなしに滝沢歌舞伎ZEROが開幕。春が始まり京都へ飛ぶ。楽しかった。でも色々あった。でも楽しい。情緒が毎日ジェットコースター。


南座公演を終え横アリを迎えても宙ぶらりんのまま残った思いがある。それは「6人のパフォーマンスが好き」という思いだ。これは増員の妥当性云々とは全く別レイヤーの個人の好嫌の話であり、「あなたは林檎と蜜柑どっちが好きですか?」「林檎です」というレベルの話である。「南座も横アリも楽しかった」「加入してきてくれた3人が好き」という思いと平行して「6人のパフォーマンスが好き」 という思いが自分の中にあり、実を言うとつい最近までこの思いをどこに持っていけば良いのか分からずメソメソしていた。


でも最近は9人じゃないと見られないパフォーマンスも猛烈な勢いで好きになりつつある。


 って言うか6人は9人にはなれないけど9人を保ちつつ6人のパフォーマンスだって出来るくない???えっ、なーんだ簡単なことじゃん。ってことについ最近気が付いた。大は小を兼ねるのと同じように9も6を兼ねる。なくなりはしてない。 でも増えた。それに何より私は新しく入ってきた3人が好き。だから楽しい。


私はこの9人が好き。


うん、やっと声を大にして言えた。
気がする。


6人のパフォーマンスももちろん最強だから今も何度も見直してる。でもメソメソしたところで私にとって何になるのかわからんし、だったらその時間を使ってビール片手に再生回数あげたり要望や感想送ってる方がよっぽど有意義に思えたし、 今のこの勢いから振り落とされないようにするのに必死だからメソメソしている暇がないし、何より見てみたいと思う未来の光景が出来たから、メソメソすることは最近めっきり減った。


その光景を思い描くようになったのは、Snow Manに密着したROTをみていた時のこと。彼らが発したり彼らに投げ掛けられたたくさんの言葉が刺さったけれど、中でも特に印象に残った言葉がある。


それは衣装の打合せ中、衣装さんが宮舘くんにピシャリとあびせた「10年かかるね」という言葉。1年後のことはおろか半年後のことも1か月後のことも分からず薄氷の上を歩むかの様に月日を送る中、プロから10年の歳月が必要と言われた。10年。その歳月の果てしなさに目眩がする。


でもその10年後を私は見たい。


10年の間には桜の花の開花とかラウちゃんの成人とか色んなイベントがあるね。そういうことに思いを馳せたらワクワクするね。 ヘッダーとか重版とか、そういうのを一つひとつ積み重ねていった先にあるのかな? リップサービス?そんなのわかってる。わかってるけどそれを真に受けて期待するのは私の勝手だ。


だから今はとりあえず走りながら考える。走るか考えるかの選択を迫られたら走る方を選ぶ。


それに最近、走るのが楽しい。危機感が常にある一方で上昇気流のような上向きの力に乗っている感じがする。フワリとそのまま足が地面から離れてしまいそうな力に。もしかしたらいつものようにお酒を飲みすぎて酩酊しているだけなのかも。でも私はこのワクワクするような上向きの力を信じていたい。生粋のお花畑だから。






冒頭の和歌は在原業平が詠んだ物だ。


現代語に訳すなら「世の中に桜の花がなかったのなら、春はのどかに過ごせるだろうに」になる。儚く散っていく桜への愛を逆説的に表現した名句だ。
「好き」という思いが増すごとに影のように不安が濃くなるJr.担にの心理に重なる所が多い句だと思う。



この和歌への辺歌も有名だ。


「散ればこそいとど桜はめでたけれうき世になにか久しかるべき」


現代語にすると「散るからこそ桜は素晴らしいのだ。憂いが多い世の中においてなにが永遠に変わらずにいられるの?」みたいな感じ。


桜の儚さそれ自体を愛でる句。
この句も素晴らしいと思う。


でも、私が好きな桜の花には散って欲しくないんだよなー。彼らの儚さを愛でるようなことはしたくないんだよなー。


V6も応援しているからこそよく分かるんだけど、続けていくことの美、緩やかに訪れつつある物に抗う美という物もこの世には存在すると思う。いつかは重力に誘われフワリと着地する運命に抗いながら、真っ直ぐに真っ直ぐに飛んでいく紙飛行機が美しいように。


今のSnow Manが発している未来を掴まんとする力は上記の美と同じベクトルの物だと思う。だったら彼らの姿もまた同じように美しいし、彼らが望む限りずっとずっと私たちの目の前にいてくれることもきっと美しいのではないだろうか。


だから、私の世界に、返歌はいらない。





P.S.

「散ればこそ~」を詠んだ人、この和歌が好きな人、勝手に引用してボコボコに言ってごめんなさい。



おわり